こんにちは、
夏休みが終わりを迎えようとしているある8月の日曜日。
蝉の鳴き声が久しぶりの曇り空に吸収されていくピースフルな昼下がり。
僕は電気を消してクーラーでひんやりとした室内でぼけっとしながら、ふと久しぶりにブログっぽいエントリーを書いてみたいと思いました。
特に書きたいことや伝えたいことがある訳ではないのですが、最近TwitterでフォローしているMonoさん(実は一度会ったことがある)が>>ものろぐというブログで写真と言葉でとても気持ちの良いエントリーを書いていて、僕もふと真似してみたくなったのです。
今、このFrom-expという僕のサイトは情報の集約データベースみたいになってしまっています。
「田舎の出身で、東京で働く僕」
多分不器用な方の人間ですが、自分なりの反骨精神を胸に生きているうちに、この東京で生きていくための至極利便性と実用性の高い情報やTipsみたいなものをたくさん手に入れてしまったのです。
例えばその情報をまとめて、広告を貼ることや何かを売ること。そういった仕事にも携わっている僕は、本来的に得意なことかもしれません。
それは、東京という都市の精神と時間速度を反映した経済合理的な精神を持つならば、とても正しいことだと思うのですが、生まれ育った田舎町に広がるゆったりとした景色を愛でるような放牧とした心をもつならば、それだけではどこか寂しいとも思います。
だから、僕はその心を取り戻すために、(Weeklyは難しいかもしれないけれど、Monthlyくらいで)もっと情緒や感性だけを表現する場所、雑感だけを思うがままに書き記す場所を、もう一度このブログに作ろうと思いました。
そう、むかし夏休みに書いた、描きかけでタイトルのない絵日記みたいなものをこの「無題」というエントリーに書いて行けたら良いなぁと思います。
さて、8月というか夏の話。
僕はこの数年「写真表現」にハマっています。それでほそぼそと食える程度には経験を積み重ねることができたかな、とも思います。
そう、僕はこの1年くらいはひたすら誰かのために写真を取り続けてきました。もしかしたらカメラが趣味という人の一生分くらいの枚数をこの一年で撮ったかもしれません。
でも本当は僕は本来的には、自分のために写真を撮りたいのです。
という訳で、(どういう訳?)でGR3を購入してしまいました。
普段はソニーのα7iiiというカメラを使っていますが、最近は使う人が増えすぎている。α7は良い意味でバリバリ撮って稼ぐための商用カメラだな。と感じます。その一方で、GR3は趣味性のカメラです。28mmのやや凡庸な画角のカメラをもち、そのレンズを通して世の中を見ようとすると世界の見方が変わる。
できれば僕はレンズ交換をしたくありません。
できれば僕は現像をしたくありません。
できれば僕はカメラすら持ち歩きたくありません。
このGR3というカメラの素晴らしいところは、一つのちいさな道具として完結しているということです。
誰もが写真を撮れる時代に、誰もが持っているスマホではなくて、GR3という道具を右手に持ってあるきたい。
このカメラのポジフィルム調というイメージコントロールが本当に美しい色合いを表現してくれます。
メーカーが作る色はRAWからの現像ではとても再現ができませんね。レンズ、センサー、画像処理。もうJpegの撮って出しが良い。
FUJIの色なんかにも憧れますが、GRが良い。小さいから。
東京タワーを間近にみられるエスクリーバというとても眺めが良い隠れ家風レストランがあったのですが、久しぶりに行くと東京タワーが見えなくなっておりとても残念な気持ちになりました。
GR3を持って歩くと視線の動きが変わります。何気ない普段の通勤路さえ多くの色彩や光に溢れている。
そして気づくのです。
「世界は美しい」と。 …そう、GRを持ち歩きたくなるほどぉ!(以下無限ループ)
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