みんなブログを書こう。一年間ブログを書いてみて

窓を開けると異国の朝焼けがとても美しい。

こんなすばらしい景色をみていると、何かいいことでも思いつきそうな、この空気を書き留めておきたいような気持ちになりwordpressを立ち上げる。ふと気づくと一番最初の投稿が昨年の12月8日だった。もう間もなくブログを始めて一年が経とうとしている。

僕は美しい朝焼けが色を変えていく様をみながら、ふとこの一年間を振り返ってみた。不思議なことに、PVだとか平均滞在時間だとかセッション比率みたいな具体的な数字や事実について特に感想や感慨、思いを感じることはなかった。しかし、この一年、書くという行為、またそれをオープンにする行為で何が変わったのだろう。ということについては幾分考える時間をもつことができた。

まず思うことは、「ブログは、自分のバカさ、安っぽさを世の中にさらけ出す行為」にほかならないということだ。正しい情報の探し方さえ知っていればほんとうに優良なコンテンツや文章がネットの海にあふれている。そんな文章と比較すると本当に自分のバカさ、安っぽさに驚く。しかし一年前とは違うのは、「そんなことに怖気づく必要は一切ない」と言えることだ。いや、今はむしろ、バカっぽくても安っぽくても構わない。文章を通して自分の思っていることをさらけ出す機会がないと、自分の考えや感性を磨く道は少ないようにすら感じている。

なので、僕はみなさんにできるだけ早く、文章、さらに言えばブログというよりも個人メディアを立ち上げることをおすすめしたい。なぜ文章、個人メディアを始める必要があるのだろうか。それはひとことで言うと自分のモノの考え方と感性を身につけ、個人として生きる試みを初めるためだ。

僕たちは大衆が消え、個人の時代と形容されるような新しい世界への入り口に、また、人生という尺度で見るならば旅立ちのステージにいる。みなうすうす気がついていると思うが、親の世代はもちろんのこと、たとえ10年先の先輩の生き方、考え方もほとんど参考にはならない。少なくとも同じようにして同じキャリアや給与を得る保証はまずない。なぜなら産業や世の中の仕組みがこれまでにないスピードで大きく変わっている時代に生きている。大量生産大量消費→差別化やブランディング、マーケティングがこれまでの時代の象徴なら、効率的に従順に業務を遂行し、生産量を最大化する歯車としての業務遂行型の人間と、与えられた課題に対する解を導きだす課題解決型の人間が最も優秀とされていた。今、世の中はもうとっくにモノで溢れかえっている。前の時代に優秀であった人間はもう必要なく、新たな価値を作り出すことのできる人間。つまり人と違った感性と創造性が求められている。

この流れへの対応の失敗は特に僕達の住む日本で強烈で、閉塞感と世代の断裂として現れていると感じる。企業はやり方を変えられないので、資本主義経済の最も基本でありエンジンである未来に対して成長していく信頼感覚や前進感覚を共有させることが出来ない。そしてその産物として1990年生まれ前後に大きな世代の分断がある。この分断の原因は会社文化という日本の宗教に新入社員を教化させることに失敗が始まったからだと僕は思う、この前後の人間は根本的に相容れることができないように感じる。話が通じないのだ!(多分お互いそう思っている。)

1990年生まれ以降の分断された側にいる私たちは働き方や生き方、モデルケースが存在しなくなった時代に個人で俗に言う”個人として生き方”を模索していくことになる。これはとても長い旅だろう。まず起点になるのは、自分だけのモノの考え方と感性。そして発信する側に立つという覚悟だと思う。この機会は全ての人間に開かれている(もし人生100年と言われる現代、20代の人間で、自分は今旅立ちのステージに居る。と確固として感じられない人はあと10年20年で死ぬつもりの人、もしくは自分がどう生きたいのかという思い、ビジョンがなく=他人の人生をいきている人このどちらだろう。)

問題はどうやってそれらを探して身ににつけるのか。ぼくなりに見つけた答えは、ひとつ、旅をしよう。ひとつ、本を読もう。そして、さいごにひとつ、文章を書こう。

もし、自分のものの考え方、感性がわからない人、みつけることに苦労している人は、まず文章を書こう。なんでもいい。…自分の好きなモノ、コト、場所。興味の有るもの。今日食べたもの、いった店、みた人、読んだ本。目と口と鼻と耳と肌。ネットでみた情報ではなく自分の五感で感じたことを書こう。書くことが無いなんて絶対にないはずだ。もし本当に何も書くことがないなら、それは死んでいるのと同じことかもしれない。
そして最後に、自分が思ったこと。感じたこと。をひねり出して、幼稚でもバカっぽくても安っぽくても構わない、ひとことだけ付け足そう。それが紛れもなくあなたらしさだ。誰かがくれるものではない。それは自分で作るものだ。

これはできるだけ他者を意識した形式でまとめたほうがいい。文字制限もなく自由度、ストック性の高いブログという形式が一番おすすめだ。駆け出しの数年間の時期に読まれることは実はあまり重要じゃない。自分の考えを自分から切り離して相対化するという行為が大切だ。時間が立つにつれその自分らしさや言葉は世界が認識できる形でストックされていくことになる。

僕はこの一年間を通して自分のことば、文章を作るということが自分らしさを作る。文章が生活の輪郭を作る。という可能性感じた。大切なのはどんなことをしてでも、まず最初の一歩を踏み出すことのように思う。

 

みんなブログを書こう。

 

 

 

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