南米に向けて

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僕は最寄り駅に向かう道を重さ約7kgのバックパックを背負い全力で疾走していた。

そう、寝坊してしまったのである。

なんとしても次の成田エクスプレスに乗り込まなければ行けない。本当は運賃が半分以下の鈍行で行きたいのだが、寝坊してしまったため次の成田エクスプレスが飛行機に間に合う最終手段なのだ。胸がバクバクし、喉が焼付きそうだ。忘れ物はないか、間に合うか、部屋の鍵閉めたっけぇ?ただでさえ回転の悪い頭がパンクしそうだ。

もちろん電車の特急券は取っていない。えきネットというWEBチケットサービスにログインするがIDとログインパスワードが分からなくなり苛立つ。“というかなんだこのクソユーザーインターフェイスは!” いかにも古い体質の日本企業らしい出来栄えの使いやすいとはとても言えない予約サイトに無意味で虚しい怒りを覚える。今からID照会をしていたらWEB発券は間に合わない。

武蔵小杉駅につき、最終発券時間ぎりぎりの発券機にPINコードを叩きこみまたプラットフォームまで全力疾走。なんとか成田エクスプレスにのりこみ、チケットを見ると実は発券時間期限切れだったようでバッチリ30分後の便が発券されていた。乗り込んだら勝ちだ。ふぅ。一気に体調が悪くなり冷や汗が出る。横の席の人が顔を覗きこんでくる。多分顔面は蒼白しているだと思う。そりゃそうだ朝起き抜けで全力疾走するんだ。トイレに駆け込み吐き気を押さえてうなだれた。

デジャブだった。

ぼくは旅に出かけるたびに”いつも”この一連のながれを繰り返している気がする。

この嫌な感覚を思い出させるから僕は成田空港が嫌いなのかもしれない。

そうだった。

僕は南米に向かっているんだった。

およそ35時間をかけペルーのリマに到着し、ボリビアを抜け、イグアスの滝へ、南米大陸を東西に縦断してリオデジャネイロを目指す。

俗にいう地球の裏側だ。
目的地である自分の足元を覗き込んで見た。

「ブラジルの人きこえますか~~~」

とこころのなかで叫んでみる。

「…」

もちろん返事はない。

一般的に南米の黄金ルートはリマINでブラジルのサンパウロOUTなのだが、気がつくと自分はリオOUTで航空券を取得していた。

大学のころ住んでいた部屋にリオデジャネイロの白黒大判ポスターを掛けていた。街の風景がかっこよかった。から、たしかビレッジバンガードという本屋で衝動買いをした。それがどの国のどの街かという情報はあまり重要ではなかった。単純にかっこ良かった。海から生えた島々に白い人口ビル群が立ち並び、その街を抱く、キリストの造像。

当時の僕にとってはまったく無名、無意味の都市だったが、今現実的にその場所を目的地としている。不思議な感覚だ。いずれにせよ行けることは楽しみである。

 

今年は幾分おおくの国と街を訪れたが、それが日常になることはない。

僕は旅と日常を繰り返している。
有機性、動物性を取り戻したいと思うのかもしれない

ぼくが思うのは日常生活にもサイクルはある。

朝目覚ましで目覚め、電車に乗り込み、オフィスでPCをカタカタしてまた家に帰って寝る。その繰り返し。

どこか機械的で無機的なんだと思う。

いうならば連続的なサイクルで1、2、3、4、と日付だけが増えていく日々。1→Nの世界

旅をしていると自然と目がさめる。見たこともないものを見に行く。日没と共に宿に帰宅し就寝する。自然で動物的で、有機的そんなサイクルを欲しているのかもしれない。

いうならば0と1の循環、0→1の世界

いくつになっても0から1の新しい体験をするということは楽しい。

でも、ある程度大人になって来ると、一般的にこの感覚はだんだんと失われていく。ということが分かってきた。みんないい意味で大人になって行く。

いかない理由を上げだすと、それはもう、きりがないほどの理由を吐き出すをことができる。

僕は好奇心を持ち続けたい。普通の人からみたら多分あほらしいほど移動しているのは、ある種の自分なりの努力、もしくは社会への反抗なのかもしれない。

僕にできるのは、ほんのいくつかの旅に出る理由を大切に磨き続けることだ。

自分の意思で自分の見たいものを見に行く 自分の行きたいところに行く。

これは物凄い自由だ。ほんとうの意味での自由かもしれない。

 

最終ボーディングのアナウンスがながれた、僕はいまから南米にむけ出発する。

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