僕がネパールを旅して感じた「人」と「地球」

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僕はネパールで何を見たのか。一言で表現するなら

 

「人と地球の姿」です。

 

わずか一週間前、もう今では5000kmも西にある、ネパールという国にいました。

私は旅のとき、いつも、もう二度と戻ることはないだろう。という思いとともに旅をしています。

 

おそらく生涯再び訪れることはできません。

 

しかし、経験、思い出というものは、色あせたとしても、決して失われることはなく、だからこそ、人生の中の旅は特別なんだと思います。

 

私は数十年後のある日、ふと、この国について何を思い出すのだろう?

 

きっとそれは、

シェルパの人々の屈託ない笑顔と、
その笑顔の背景に存在するヒマラヤの大自然

 

この二つだと思います。

 

 

 

 

地球の姿。

 

ヒマラヤ山脈。

高い山というものは、すべからく裾野が広く、頂上に向かい一時曲線的に標高が上がっていく。そういうものだと思っていました。

 

でも僕がネパールでみた世界の頂点:ヒマラヤの事実はそんな想像とは全く異なり、また遥かに超えるものでした。(far beyond my imagination!!)

 

実はヒマラヤ山脈の周りはさほど標高が高くありません。(しかも奄美大島とほぼ同緯度なので過ごしやすいのです。)

 

ネパール第二の都市ポカラあたりで800mほど、そこからわずか数十キロ先が世界の屋根 8000m級 神々の山々なのです。

 

つまり2時曲線的、高度が怒涛のブチ上げアッパーカットなんです。(フゥー!)

 

インドプレートがユーラシアプレートにぶつかり、
耐えきれなくなった大地のうねりが重力に逆らい、雲を突き、天へと伸びる。

 

これは山じゃないんだ、地球の皺、動き、唸りなんだ、宇宙へ伸びる昇竜拳なんだ!

 

このダイナミクスを初めて見たときは、これが、僕たちのすむ地球なのか。と思わざるを得ません。

 

見える!地球が見えるんです!
飛行機から、本当の意味で地球を見てる気になるのです。

(飛行機の窓からほぼ、同じ高さに山があって見渡す先まで山の稜線が伸びてます。)

 

一般的に、旅では大自然というものを感じる機会が多く、それは表面の質感、アーキテクチャという範疇なのかもしれません。しかしと私がネパールで感じたのはもっと大きいこの星の姿、形、あのまん丸い地球の姿なんです。

 

ネパール ヒマラヤには地球の姿とは。それを想像せざるを得ない世界がひろがっています。

 

 

人の姿

 

ヒマラヤ山脈は神々しいほど雄大です。

 

殺伐とした緑茶褐色の山肌、そこを駆け上がる雲、吹き抜け、舞う雪。

 

“おそらく地表では吹雪というんだろう”

そういった自然のショーを見ていると飛行機の窓から見る時間は地球の悠久の時の流れを感じさせるほど、ゆったりと幸福です。

 

キラッ

 

何か山肌に何か細々とした閃き、瞬きが見えるのです。
そう、あの険しい山々に小さな集落、人が住んでいる。

 

まるでダイヤモンドみたいです。

 

大都会に住む人はコンクリートのジャングルの中の自然を美しいと愛でるかもしれません。

大自然の中に、か細く、けど力強く存在する人間の営みにも、はっと惹きつけられる美しさが存在するのです。

 

彼らは一般的にシェルパと言われている人々で、その方々の生活を見たこと、ふれあえたことは大変に印象深いものでした。

 

シェルパというのは、ほとんどfamily nameに近いようで、皆○○シェルパと名乗っていました。そして数千メートル級の山と山あいだで生きてます。
彼らはほとんど全て物資をポーターと呼ばれる人が運んでいます。毎日毎日。

 


…エベレスト街道を行く ポーターの人々

 

そんな険しい環境に生きる彼らですが、私に、いわば通りすがり100%ストレンジャーの私に対しても、人間としての屈託なく、ウチとソトの区別がないというか、どストレートに触れ合ってくれました。

 

−1月1日、私は険しいエベレスト街道をナムチェからルクラまで、およそ6時間の道のりを一人降っておりました。

 

するとちょうど途中あたりで少年と初老の母が

 

“旅人か?一緒に行ってもいいか?”

 

と声をかけてくれたんです。

 

“いいよ。”

 

と3人で歩き初めたのですが、
彼らはおそるべき健脚です。

そのスペースについていこうとすると、僕のオフロードバイクで鍛え上げたはずの屈強な足腰は次第にガクガク、笑い出しました。

 

笑顔でもう無理だから先にどうぞ(苦笑)と言っても

 

“ダメだ。一緒に行こう”

 

しまいには、トイレするから先に行ってて。と離れても、

 

100m先でしっかり待ってるんです!(悪魔か!笑)

 

しんどすぎて涙がちょちょぎれそうになり、くじけそうになっても、このままだと日没に間に合わない。と。一切ゆるしてくれないのです。

 

途中、ミルクティーをご馳走してくれ、3人で飲んだり、なんで一般旅行者の私にそこまでよく、というか興味を持ってくれるのか?とひたすら疑問を持ちつつ、
なんとか薄暗い時間でルクラまでたどり着くことができました。

 

最後にさよなら。と握手した、(3歳児のように笑顔が素敵な)初老の母の手が、驚くほど乾燥し荒れていたことが忘れられません。

 

 

シェルパの彼らと過ごした3時間は本当に新鮮で、

良いとか悪いというのではなく、(事実死ぬほど疲れた)とても不思議な経験でした。なぜなら僕はそんなことができないし、これまでもされたことがないから。

 

ここに住む人たちの生活の姿、そして触れ合いを通して、つまり自分と違った生活や感性を持つ人との接触を通じて、私の中の人間に対する認識は少なからず変わりました。

 

最後に

この旅を通して見た景色や素晴らしい経験。私は巡り合わせが良かったのかもしれません。

でも、ネパールは訪れる全ての人に、きっと素敵な巡り合わせが起こるであろう。そんな予感のする国です。

では。

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