オフロードバイクの歴史についてまとめる。1900年〜2020年

※本記事は執筆途中となります。随時加筆予定。(ご指摘、反響、ご要望などなどあれば、、、、)

 

オフロードバイクを歴史から紐解いてみたい。

読んで頂くことで2輪の歴史を通して工業の歴史についても多少の理解が進むような二度おいしい編集を目指した。(ところだがうまくまとめきれていない大学生のレポートみたいになってしまった。)

〜第2次世界大戦(1936) 海外からの輸入、製造技術の獲得をめざして

 

車は1908年に水平分業でT型フォードをことで量産化された。(これは近代の工業化を象徴するに非常に重要なイベントとして引き合いに出されることが多い。)

バイクに関しては英国やアメリカでは1910年代以前からすでに量産市販の技術をもっていた(※1)ようだが、
こと日本に関しては1909年に島津楢蔵が初の国産車であるNS号を製造したが、どちらかというと山田輪盛館や山口勝蔵店(英国のトライアンフ、アメリカのインディアン)といったオートバイ専門輸入商による輸入がメインだったようだ。

30年台にはハーレーダビッドソンのOEM生産である「陸王」が日本で生産、量産がされることになる。
第二次世界大戦(1939〜1945)を迎えその戦時下では、兵器の生産が最優先され、市販用の二輪車の製造は低迷していく。

(※1)オフロードの歴史として海外に目を向けると
インターナショナルシックス・デイズトライアル がバイクの耐久性能を図るためのレースとして1913年に英国で開催された。マン島TTレースも性能の向上改良という目的で1907年に開催されている。

戦後1945年〜60年代  モーターサイクルの本格量産市販化。レースの隆盛と国内メーカーの確立

戦後、軍事兵器の製造に携わっていたエンジニアが、GHQ統治下においても規制ゆるい2輪業界に大量に流入し、様々なバイクメーカーが誕生し群雄割拠した(一時期は150社以上)

バイクを構成する部品や技術は、発展途上であったため、各社のトライアル&エラーが繰り返される。
メーカーが乱立していた時代において、ユーザーに手っ取り早く自社のオートバイの性能を世間に認めてもらう手段としてレース(いわば発表会)の有効性が認められる。

この時代の日本でキーとなり未だその名が語り継がれているのは戦後初のレースイベントである「多摩川レース」多摩川スピードウェイ※2で全日本モーターサイクル選手権大会や国内レースの最高峰として1955年に第一回が開催された浅間火山レースなど。(※2ちなみにこの多摩川レースのコースの観客席はまだ現存していて、東急東横線から多摩川を渡るときに見ることができる)

コースは未舗装のダートあり、実質的にはモトクロスの前身であるスクランブルレース、あるいはダートトラックレースに近いものであり、この時代にはまだオンロードバイク、オフロードバイクといった概念が強くなかったようだ。

戦後は、上述のように大量のメーカーが参入、創立→レースで実績を通してノウハウの獲得→生産能力の増強と淘汰・吸収合併し日本国における国産ブランドの芽生えと生産能力の向上が図られた。

象徴的なのは1958年に発売されたスーパーカブであり、発売当時55000円の低価格で、月産5万台を生産し、モーターサイクルを市民へ解放。日本、世界の二輪業界の構造を大きく変える土台となる。(参考 ホンダ創業1948年)

第二次世界大戦後のヨーロッパでは、「モトクロス」と名付けられた新しいモーターサイクルスポーツが人気となり初め、1950年台初頭にはレースはヨーロッパ全土へと広まる。(モトクロス・オブ・ネイションズ)

日本へは戦後に進駐軍によってその原型が伝えられた。一斉にスタートラインから飛び出して競われる競技スタイルからスクランブル(緊急発進)になぞらえて「スクランブルレース」と呼ばれた。

・1959年第1回スクランブルレースが埼玉県朝霞市で開催。同年、第1回全日本モトクロスが大阪府信太山で開催

・1964年には第1回モトクロス日本グランプリ大会を群馬県相馬ヶ原で開催。

http://www.mfj.or.jp/50th/history_top.html

 

60〜70前半 オフロードバイクブーム

1960年代米国西海岸にて、広大な荒野でオフロード走行を楽しむライダーが増え初めていた。

モトクロス専用の競技車両も存在していたが、ファンライドで一般の市民が使っていたモデルはロードモデルのオートバイを軽量化、マフラーを高い位置に移設、タイヤを替えるなど改造したものを使用していた。これらはオフロード向けのレースの俗称から「スクランブラー」と呼ばれる。

この盛り上がるオフロードムーブメントに合わせて、各社からオフロードでの走行も想定したバイク生まれ初める。

このキーとなったモデルが、ヤマハが開発したDT1(1967年)だ。ヤマハは「オフロード走行もでき、公道も走ることができる」これは「トレール」という新しいスタイルで打ち出した。
このDT1は爆発的な売上をみせ、その後各社より同様のコンセプトのバイクが生まれ始める。

結果として一般市民が、オフロードをスポーツとして楽しみ出し、文字通りオフロードバイクはアメリカ、また日本でも爆発的なブーム、ムーブメントとなった。

〜70年台前半までアメリカではサンドレース(デザートレース)が盛んであったようだが、ヨーロッパでより人気であったモトクロス(エンデューロ)に人気が移っていく。

国内メーカーも世界モトクロス選手権に参加を初め(スズキ 1968〜、ヤマハ1972〜)スズキのハスラー、ヤマハのモノショックサスペンション(https://youtu.be/5vHM4p9E4WM)、ホンダも2stモデルを投入するなどオフロードバイクとしての技術も一気に進化をはじめる。当時の様子は是非、ON ANY SUNDAY (1971)をご覧頂きたい。

http://www.mfj.or.jp/50th/history_top.html

ホンダ エルシノア MT250  73年
XT500 76年

SR500誕生 1978年

1969年 ホンダ Dream CB750Four
1972 カワサキ Z1
1974 CB400Four

80年台 未知への挑戦 と 日本のエンデューロブームの幕開け

未知の領域へのエクスカージョン。人間とマシンでの未知への到達点への挑戦が初まる。

1977年コートジボワールの首都アビジャンから南フランスのニースまでの約10,000km を走るというアビジャン・ニースレースが開催される、この中に後にパリダカを主催するフランス人冒険家ティエリー・サビーヌの姿があった。彼は途中で遭難してしまいリタイアとなりながらも、その体験が忘れることが出来ず、1979年からパリ・ダカール・ラリーを開催する。

「私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」という彼の言葉は聞いたことがある方が多いだろう。

パリダカールラリー以前は、例年1月1日にフランスの首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走るレースであるが、アフリカでの治安悪化に伴い、2009年からは開催を南米に移している。

こういったバイクを使った旅は1952年チェ・ゲバラのノートン500による南米大陸縦断(モーターサイクル・ダイアリーズという映画参照)など個人ライダーとしての私的な挑戦は過去にもあったはずだ。

80年台にはそれがオフロードバイクの競技として、また組織的または時にはコンテンツとして運営されるようになってきた。今現在のパリ・ダカールは完全にワークスの企業体勢で広告としての側面が強いレースとなっているが、パリ・ダカールの黎明期には未知の領域へのアドベンチャーの色合いが強かった。実際に私自身当時のパリ・ダカールに参戦した日本人ライダーともお話をさせた頂くことがあったが、エントリーフォーマットなどは当たり前だがすべてフランス語、お弁当箱のような発信機を手渡された それを押すとヘリが飛んでくる唯一の安全装置だという。

私の生前の出来事なので、その雰囲気を味わう事はできないが、テレビを通してチャレンジャー達の未知へ挑戦する姿は多くの人間に勇気を与えただろう。きっとそこにはまるで15世紀の大航海時代に大海原へ船出をするかのような興奮があったに違いない。

また、日本に目をむけると風間深志さんが、冒険家として目覚ましい成果を残す。

バイクにによる史上初の北極点・南極点到達、チョモランマ挑戦時の世界最高高度記録など3つの世界記録を持つ

同時に日本では80年代中頃から(〜90年半ば)オフロードバイクブームとなり全国各地でエンデューロの耐久レースや草モトクロスレースが開催される。

 

技術的な側面に目を向けるとオフロードバイクも空冷から水冷へ移行し始めた。

サガミ・ダ・カーラ

DT200R 1984年
Serow225 1985
初代アフリカツイン (1988)

1985 XLR250R
1989 KDX200SR

 

日本全体がバイクブームであり、また、鈴鹿8耐久が牽引するロードスポーツが全盛期を迎えていた。

レーサーのフルカウルを身にまとった2stレーサーレプリカが流行り、3ナイ運動や暴走族といったカルチャーもこの時代に生まれたようだ。バリバリ伝説などがこの時代の象徴であろう。

RG250Γ(1983)

NSR250R(1986)

ゼファー1989

 

90年台 バイクブームの終焉 環境 2stの終焉

90年台前半はエンデューロブームだったようだが後半から一気に下火になっていく

XR250、セロー、KLX250、ランツァ、CRM250Rなど

 

00年台 環境対策への

 

2006年モデルでレーサーモデルの2ストロークモトクロッサーは生産終了となった。また、2006年10月1日から世界で最も厳しい日本におけるバイクの新排出ガス規制が施行された。これは4ストローク新型車種に適用されるので、過去に発売されたモデルが運転できなくなるということ。
Mixiや個人ブログへのノウハウの蓄積とインターネット上でのつながりが始まる。

10年台 微ブーム?

モタードの流行

90年台、00年台はまだ皆が同じテレビ番組をみて同じ娯楽を楽しんでいる雰囲気があったが、10年代に入ってなくなった。

俗にいうSNSをはじめとした本格的な個人の時代がはじまり、バイクに関する趣味嗜好もより細分化されて行く。旧来のヒエラルキー型の競技よりも、個人がフラットに時にはわいわい楽しみ、それをラフに共有。すなわちゆるやかなつながりを持てるようなモータースポーツのスタイルが主流となる。その一方でインターネット上には様々なドメインにばらつきのあるコンテンツが膨大に増え情報が断片化した。

20年台

・モータースポーツの電子化とネットワーク化

トラクションは機械任せ? 5Gとセンシング

・圧倒的な参加心理障壁による競技モトクロスの衰退

・よりラグジュアリーな高級趣味に

・グループの膨張と収縮、

・走行のできる場所 グレーな場所の完全ブラック化

・海外ツーリングの流行

次なる体験として海外ツーリング・ダートアクティビティが盛んに、

渡航費が安くなる、ノウハウと情報の蓄積が進み

主にアジア。そして日本の一部